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WITCH GRAVE


 雨が降っていた。だが、少女の顔を濡らしていたのは雨粒だけではなかった。
 バスケットを抱えて、少女は泣きながら歩いていた。焦げたにおいが少女を追いかけてきていたが、それは降り続く雨でやがて収まった。火が消えたのだろう。
 しばらく歩いた頃、ぴたり、と足を止める。
 誰かが倒れていた。それが自分と同じくらいの子供であると認識する。動かなかった。死んでいるのだろうか。少女は涙を拭って、恐る恐る近づいた。
「だ、だいじょうぶ?」
 少年だった。血塗れで倒れていて、とても大丈夫には見えなかった。少女は少年の脇に膝をつくと、肩を揺すった。
「ねえ……生きてるの?」
「う……」
 少年が呻き、目を開いた。
「……おいかけて、きた、のか……おれを、ころしに……」
 掠れた声で少年は言うと、ゲホゲホと咽る。少女は首を振った。
「誰もいないよ。わたしだけ。どうしよう、大人の人はいないし……」
 困った。こんな怪我、自分には手当できない。少年が目の前で死にゆくのをただ傍観しているしかできない。
「……血を」
「血?」
「血を、のませてくれ……すこしで、いいから……」
 少女はその言葉を聞いて、目を見開いた。この少年は――
 少し迷ってから、少女はバスケットの蓋を開けて、ナイフを取り出した。ナイフで手の甲にうっすらと線を引く。痛みがあって、少女は目をぎゅっと閉じた。赤い血が流れる。
「……はい」
 少年の口元に手の甲を寄せる。少年はぐっと首を持ち上げると、流れる血を一口舐めた。


 ***


「また魔女が処刑されたんですって」
「あの街外れの小屋のばあさんやっぱり魔女だったのか。俺は前からそうじゃないかと……」
「違うわよ、ほら公園で毎日花を売っていたお嬢さん。魔女だったんですって」
「ああ……あの娘か。人間かと思っていたが」
「今は人間も魔女も見分けがつかなくなってしまったから、探すのも一苦労よ」
 店内で大声で噂話をしている老男女の声を聞いて、若い男がカウンターで肉にナイフを突き刺しながらため息をついた。
「飯がまずくなる話だな……」
「大丈夫ですよ。この街は魔女狩りがちゃんと機能していますから、ご安心ください旅の方」
 カウンターの中で店主がにっこりと笑った。
「そういうことじゃねえんだけどな……」
 男が渋い顔で呟くと、カランカランと店のドアが賑やかに開いた。
「いた! ウィル! また勝手にいなくなって!」
 女の高い声が店内に響き、男は一層表情を顰めた。
 駆け寄ってくるブーツの音が板張りの床に響くと、店に駆け込んできた女は男の横にバンと勢いよく手を置いた。
「なんで、新しく街に来る度勝手にいなくなって飯屋にいるんだ!? まずは街の情報収集からっていつも言ってるだろ!?」
 ウィルは隣で険悪な表情で立つ女に面倒そうに目を向けた。
「だから俺も毎度言ってるだろソフィー。情報収集するなら飯屋に限るって」
「ただ飯食いたいだけだろ」
「うん、まあ」
 ソフィーの拳がウィルの頭に落ちた。いてっとウィルが肩を竦める。
 まったく、と言ってソフィーはウィルの隣の椅子を引いて座るとエールを注文した。店主はにっこりと微笑むと、グラスにエールを注いでソフィーの前に出す。ソフィーはグラスを掴み、そのまま勢いよくエールを半分ほど飲むとグラスを勢いよくテーブルに戻した。その様子を見て、ウィルは眉を寄せる。
「なんか機嫌悪いな」
 ウィルがそう言うと、ソフィーは目を吊り上げて隣を見た。
「あんたを探してる間に、それはもう! クソみたいな男に出会ったもんだから! そりゃあね!」
 ソフィーはまたエールを呷る。その言葉を聞いて、ウィルは一層眉間に皺を寄せた。
「何か面倒ごとを起こしてきたんじゃねえだろうな」
「……」
 グラスの中身を飲み干すと、ソフィーはウィルの問いかけには答えずエールのお替りを注文した。
 はあ、とウィルは溜息をつく。否定しないということは、イエスということだ。
「俺は毎度言ってるよなあ、面倒ごとには首を突っ込むなって」
「だって、あの男! 人の往来のある道であんなに車かっ飛ばして! 人撥ねますよーって言ってるようなものじゃん!」
「それで?」
「轢かれそうだった男の子を助けた。褒めろ」
「あー……偉いけど面倒ごとにも首を突っ込んできたわけだな」
 ウィルはぽんぽんとソフィーの金の髪を軽く撫ぜると、そのまま自身の銀の髪をがしがしとかき混ぜた。人助けをした。確かに良い事だ。だが、恐らくはそのクソみたいな男に喧嘩を売ってきたのだろう。ソフィーのことならよく知っているウィルである。簡単に予想が出来た。
「もしかして、それはエインズワース家の御子息では?」
 店主が声をかけてきて、二人は目を向ける。
「ああ、確かそんな名前だった」
 ソフィーが肯定する。
「そんなに有名なクソ男なのか、あいつは?」
「あ、いえ……そうではなく。この街で人目を気にせずに車を飛ばすような人は、あの方くらいですから」
 店主は困り顔をした。
「御子息っていうと、どっかの偉いとこの坊ちゃんか?」
 ウィルが嫌そうな顔をする。
「この街の魔女狩り政策の責任者がエインズワースさんというそれはもう立派な方なのですが……なんといいますか、御子息はお父様の功績を我が物顔にしているといいますか……」
「ああ、親の七光りってやつだな」
 パチンとソフィーが指を鳴らした。店主は言いにくそうにもごもごと口ごもり、はいと頷いた。
「しっかし、魔女狩りねえ……そんなもんやってどうするんだ? 今時魔女が襲ってくるのか? 大戦から二百年は経ってるんだぞ」
 追加で来たエールを飲みながらソフィーが言う。
 その昔、人と人ならざる種族は共存していた。人間も魔女も、それ以外の種族も、互いを尊重し、認め合って生きていた。それがある日、人間が他種族を「認めない」と宣言をした。一斉に魔女をはじめとする他種族狩りが始まった。何千年も共に生きて来たがために、すっかり戦うことなど忘れてしまった魔女たちは、共に築き上げてきた人間の科学技術力によって敗北することとなる。そして、魔女以外の種族も絶滅にまで追い込まれ、この世界は人間のものになったのである。
「しかも、魔女って言ったって、今いるのは大昔に人間と交わったご先祖様がいるほとんど人間の血な混血くらいだろ。大した害があるとは思えないね」
「お嬢ちゃん、穏健派かい?」
 後ろから声がかかって、ソフィーとウィルは振り向いた。最初に魔女狩りの話をしていた男だった。
「それがね、まだいるらしいんだよ、純血ってやつが」
「純血ぅ? どこにいるってんだ、そんな希少種」
 ウィルが問う。
「魔女狩りをしているうちに辿り着くんじゃないかって言うんだよ、エインズワースさんは。いつか純血を打ち倒し、人類の本当の勝利を街にもたらすってね!」
「純血を倒すといいことあるのか?」
 今度はソフィーが呆れ顔で問いかけた。
「仲間を滅ぼされて、いい顔をしている種族がいるものか。人間を滅ぼそうと画策しているに違いないんだ。エルフも狼人間も吸血鬼もどこかにまだ生きているって私は信じているぞ。おちおち安心して寝られもしない」
「すみませんねえ、この人『いつか自分たちは魔女やら狼人間やらに滅ぼされるんだ』って昔から言ってるんですよ」
 テーブルの向かい側に座る女が苦笑しながら手を振った。はあ、とウィルが呆れた声を漏らした。
「だがこの街にいれば、少なくとも魔女に対しては安心できる! 何せエインズワースさんがいるからな! この街で築き上げた魔女狩りの技術は、他の街の追随を許さない! あんたたちも安心して観光していくといい」
 男はそう言ってにっこりと笑った。
 その時だった。
 ソフィーが入って来た時よりも大きなバーンという音をさせて、店のドアが開いた。
「見つけたー! あの金髪の女だ!!」
「あっやべ、クソ男だ」
 店の入り口に立つ男を見て、ソフィーがエールを一気飲みした。既に食事を終えていたウィルは懐から財布を取り出した。
「会計と、迷惑料でー、こんなもんでいいか?」
「え? あ、はい、え?」
 店主は突然の事態に驚愕していたまま、ウィルが出した紙幣を受け取った。
「捕まえろ!!」
 男の声に、数人の黒服の男が店内に飛び込んできた。
 ソフィーとウィルは声と同時に席を立っていた。ソフィーが男の腕をかいくぐり、背中に回し蹴りを叩きこむ。ウィルがソフィーの背後に迫ろうとする男の腕を掴んで投げ飛ばす。テーブルが壊れて客が悲鳴を上げた。
「邪魔だ!」
 店の入り口で突っ立ったままだった男の顔面に、ソフィーのブーツの底がめり込んだ。
「ウィル!」
 ソフィーが合図を送り、ウィルと一緒に店の外へと二人は走って逃げていく――

「面倒ごとは片づけて来たんじゃねえのか!!」
 公園まで走って逃げて来た二人は、ようやく一息ついていた。ベンチに座るソフィーに、ウィルが怒鳴る。
「いや、トンズラしてきた」
「そういうのは先に言え! エール飲んでる場合か!」
「はぁ!? 場合だろ! 酒でも飲まんとやってられんわ!」
 びしっと指を突き出してくるソフィーも同じ調子で怒鳴るものだから、通行人は物珍し気に二人を見て立ち去っていく。
 ウィルはこめかみを抑え、ひくひくと頬を引きつらせた。何を言おうか言葉を探す。腕を組んでふんぞり返っているソフィーに、今日こそガツンと一言言わねば気が済まない、と思うが彼女に何を言っても無駄であることも同時に知っているため、言葉が出てこないのだ。
「あの……すみません」
 突然の第三者の声に、二人は目を向ける。
 そこに立っていたのは若い女だった。花束を抱えている。
「お取込み中申し訳ないのですが、そこを譲っていただけますか?」
「え?」
「ここで花を売っていた友人がいつも座っていたベンチなので」
 よくわからないという顔をしながら、ソフィーは立ち上がって席を譲った。ありがとうございます、と言って女はベンチに花束を置いた。そうして女は手を合わせて目を閉じた。
 ああ、とウィルが声を漏らす。
「もしかして、魔女狩りでやられたっていう子の……」
「魔女狩り?」
 ソフィーが問い返すと、ウィルが頷く。飯屋で耳に入った情報だった。魔女狩りに遭ったのは、公園で花を売っていた女だったと。
「ええ、魔女狩りに遭ったミシカは私の友人でした」
 女はそう言うと、二人を見てにこりと笑った。
「ご安心ください。私は人間です。うちの家系に魔女はいません」
 ソフィーが眉を寄せ、ウィルは表情を固くする。
「……なんで笑ってんだ、あんた」
「え?」
 ウィルに低く問われた女は、わけがわからないという顔で首を傾げた。
「友達が殺されたんだろ? なんで笑ってんだ」
 ウィルがもう一度問うと、女は今度は目を見開いた。
「え……だって、ミシカは魔女で……」
「魔女だったら殺されてもいいのか? あんたの友達だったんだろ? 友達殺されて、それで仕方ないって笑えんのかよあんた」
 責めるような口調のウィルの言葉に、女はハッとすると、きゅっと口を結んだ。そして、両目からは涙が溢れ、女は両手で顔を覆い、肩を震わせ始めた。嗚咽が漏れる。
「あーあ、泣ーかせた」
「えっ、俺か」
「あんただよ」
 ウィルの背中をソフィーがバシンと叩く。一歩前に出たウィルは、頭をがしがしとかくと、腰を少し折って女と目線を同じにした。
「あー、悪い。言い過ぎたな」
「いえ……あなたの言うことは正しかった……」
 女は首を振ると、両目を拭った。そして、再びにこりと笑みを浮かべる。先程よりも自然に笑っているように見えた。
「あなた方は魔女に偏見がないのですね」
「まあな。穏健派ってやつ?」
「ふふ、私もです」
 内緒ですよ、と女は口元に人差し指を当てた。
「遅くなりました。私、アンナといいます」
「ウィルだ」
「ソフィー」
「お二人はこの街には来たばかりですか?」
「ああ。しっかし、この街は魔女狩り魔女狩りって物騒だな」
 ウィルが花束に視線を落としながら言う。アンナも花束に目を向ける。
「魔女狩りの技術で地位を上げた街ですから」
「なんでミシカは魔女だって今更バレたんだ? 魔女なんだったらこんな街に住んでないで、出て行けばよかっただろ」
 ソフィーが怪訝そうに問う。
 アンナは首を振った。
「ミシカが魔女の血になったのは、今年の血液検査が初めてだったからです」
「血液検査?」
「この街では定期的に魔女の血が見つからないかと、住人の血液検査が行われるんです。魔女は、今では混血しかいませんし、魔女の力を引き継いでいるような人もほとんどいないらしいんですけど、ある日『突然』魔女の血が濃くなることがあるそうなんです。ミシカはそれで……」
 へえ、とソフィーは声を漏らす。
 今まで人間と同じように生活してきたのに、ある日突然「魔女」のレッテルを貼られる。見た目も何も変わらないのに、血が違うだけで、魔女は人間に殺されるのである。
「ミシカはずっと怖がっていました。遠いご先祖様に魔女がいるから、いつか自分も魔女の血に目覚めてしまうんじゃないかと」
「それが現実になっちまったってわけか……」
「普通の女の子でした」
 アンナは声を落とす。
「普通の……女の子だったんです」
 目の端から、涙が頬を伝う。
「普通だよ」
「え?」
 ソフィーの呟きに、アンナは落としていた視線をソフィーに向けた。ソフィーは花束に目を向けていた。
「人間も、魔女も、吸血鬼も、エルフも、狼人間も、みんな普通だ。何も変わらない。違うと思うから争いが起こるんだ」
 ソフィーは溜息をつく。
「みんな同じだよ」
「……素敵な考えですね」
 アンナは微笑む。ソフィーはぷいとそっぽを向いた。
「ここにいたら魔女狩りに見つかります。移動しましょう」
 アンナの言葉に頷き、三人は公園から大通りへと移動した。
 車が往来するのを横目で見て、ソフィーは眉を寄せた。
「車が多いな」
「今日は少ない方ですよ。車は嫌いですか?」
「俺達は田舎の出身だからな」
 ウィルが補足する。なるほど、とアンナは頷いた。
 車があるような大きな都市はまだ少なく、まだ馬車が主流な小さな町や村も多い。車があるということは開発するだけの財力と技術のある街であるということで、金回りが良いのも大都市の特徴である。大きな都市には線路が敷かれ、汽車も通っている。大都市から大都市への移動は随分速くなった。
「今のように魔女に厳しくなったのは、市長が雇ったエインズワースさんが来てからなんです。二十年前だったでしょうか」
「そのエインズワースってのはよそ者なのか?」
 ウィルが問う。アンナは頷いた。
「ええ。噂によると、魔女の研究をしているうちにこの街に辿り着いたんだとか」
「魔女の研究ねえ……」
 ソフィーが胡散臭そうな顔をした。
「魔女の力が血に宿っていることはご存知ですよね? だから、エインズワースさんは年に数回の血液検査を市民に義務付けたんです。お二人もこの街に入る時に検問で検査を受けたでしょう?」
「え? ああ、そういえばそうだったな」
 二人は顔を見合わせた。
「この街には魔女が何人かいたんですけど、みんな検査で見つかって殺されました。他の種族との混血なんて今時どこにだっています……だからミシカのように、急に魔女の血が濃くなった子も……」
 アンナは二人の様子には気付かずに、スカートを両手でぎゅっと掴む。
 沈黙が下りた。
 エンジンが唸る音に最初に気付いたのはウィルだった。前を歩く女二人の手を引いて道路脇へと慌てて避けると、今まで三人がいた場所に猛スピードで真っ赤なオープンカーが突っ込んできた。キキーッと甲高いブレーキ音が響く。
「みぃーつーけーたーぞー! 女ァー!!」
 運転席で、先程見た顔が立ち上がって拳を振り上げた。げえ、とソフィーは顔を顰める。
「しつこい男は嫌われるぞ」
 私はもう嫌いだけどな。とソフィーは付け足す。アンナがぎょっとしてソフィーの腕を引く。
「サムさん! えっ、ソフィーさん彼に一体何を!?」
「んー、ちょっとな」
「ちょっとって! あの人を怒らせたらだめっていうのが、この街の掟みたいなもので……!」
「よそ者だからそこは大目に見てくれないかなあ」
 アンナの腕を解いて、ソフィーは駆け出した。
「ウィル、アンナ任せた」
「お前どうすんだよ!?」
「撒いてくる」
「待てぇー!!」
 走り出すソフィーの後を運転席を降りたサムが追いかける。ソフィーは店の路地に駆け込んで見えなくなった。
「俺たちも移動するぞ」
「え? ソフィーさん大丈夫で……」
「とりあえずは。こっちもやばい」
 オープンカーの後に、先程二人が伸してきた黒服の男達の乗った車が続々と到着する。道案内頼むと言って、ウィルはアンナの腕を引いてソフィーとは逆方向の路地へと駆けこんだ。

 アンナの案内で路地から路地へと駆け抜け、大通りからは随分と離れた静かな住宅街へとやってきた。
「家はこの近くか?」
 ウィルが周囲を見ながら問うと、アンナは頷いた。
「はい、ありがとうございます。もう大丈夫です。早くソフィーさんを助けに行ってあげてください」
「そのつもり――」
「姉ちゃーん!」
 ウィルの声を遮って、少年の声が響いた。正面から走って来るのは五歳程の少年で、アンナに近づくとそのまま抱き着いた。
「アンディ。どうしたの、膝擦りむいたの?」
 アンディの膝に絆創膏が貼ってあるのを見て、アンナは腰をかがめて問いかける。
「アンナ。帰ったのかい? まさかミシカのところに行ってたんじゃないだろうね」
 アンディが出て来た家から、追いかけるように女性が出て来た。
「違うわお母さん。アンディどうしたの?」
 アンナは嘘をついて、話をすり替えた。母親は、はあ、と頬に手を当てて深く息を吐く。
「アンディったらね、車に轢かれそうになったのを、綺麗なお姉さんに助けて貰ったんですって」
「ええ!?」
「しかも、どうやらサムさんの車だったようで……謝罪に行くべきかどうか、父さんが帰って来たら相談しようと……」
「あー、話に割って入って悪いんだが……」
 二人の会話をウィルが遮った。母親はウィルがいることに今気づいたようで、驚いた顔でウィルの長身を上から下まで見回した。
「あなたは?」
「お母さん、この人は今日この街に来たウィルさんで」
 アンナが説明している途中で、ウィルはアンディの脇にしゃがみこんだ。
「なあ、坊主。その姉ちゃんは、腰くらいの長さの金髪で、緑の目で、おっぱいのない、ミニスカートを穿いた姉ちゃんか?」
「うん! おっぱいなかった!」
 アンディが元気よく答えた。そうか、と言うとウィルは立ち上がる。
「間違いなくソフィーだな」
「ウィルさん、あとでソフィーさんに言いつけますからね」
 真剣な表情で頷くウィルを、アンナが睨んだ。そしてアンナは息を吐く。
「でも、ソフィーさんがどうしてサムさんに追われているのか理解しました」
「恩人の方、サムさんに追われてるのかい!?」
 ぎょっとして母親が問う。アンナは頷いた。
 何をしたのかは知らないが、ソフィーはアンディを助けつつサムに喧嘩を売って来たということなのだろう。だからあんなにも付きまとわれているというわけだ。ウィルは額に手を当て、ため息をついた。どうして街に着いた当日に問題を起こせるというのだろうか。ソフィーとすぐに別れて、飯屋に引き寄せられた自分にも非はあるわけだが。
「まずいよ、エインズワースさんが出て来たりしたら……!」
「お母さん、ソフィーさんは魔女じゃないんだから」
「でも、あの人は街で騒ぎがあって出てこない人じゃないよ! 早く助けに行ってやらないと」
 そういえば、と思い出してウィルは落ち込むのをやめた。
「そうだな、迎えに行ってやらねえと。じゃあ、ここでお別れ――」
「裏道案内します!」
 アンナがウィルの手を引いて走り出した。ウィルが慌てて駆け出す。
「おいおい、俺はあんたをここまで送ってやったんだぞ」
「弟の恩人だって知ったら放っておけません! 行きましょう!」
「頼んだよ、アンナ! ほとぼりが冷めるまで、うちで匿ってもいいから!」
「わかった、お母さん!」
 事は勝手に進んでいるようだ。仕方がない、とウィルはアンナと共にソフィーを助けに行くことにした。無事に撒いているとよいのだが――

「はー、撒いた撒いた」
 ソフィーは元の公園に戻って来ていた。この街は広く、あまり知らない場所に行ってウィルと再会できなくなっても困るのである。知っている場所に戻って来てしまうのは仕方のないことだった。
 変わらずに置いてある花束に目を向け、ソフィーは花束の横に座った。
「馬鹿馬鹿しいよな、魔女狩りなんて」
 誰も答えなかった。
 ガシャガシャと物々しい音が近づいてくるのが聞こえ、ソフィーは面倒そうに目を向けた。
 何かの機械を背負った武装した男達が十人程、公園内を隊列を組んで歩いてくる。そうして、ソフィーを囲んで立ち止まった。ソフィーが睨みつけるが、皆顔をシールドで覆っていて表情はわからなかった。
 隊列が割れる。その中央を、武装していないスーツの若い男が一人歩いてくる。その人物が誰かは、初めてこの街にやってきたソフィーにも予想がついた。
「エインズワース様、この女です。今朝、検問を突破して侵入した二人組のうちの一人です」
「もう一人男がいるはずですが……」
「エインズワース」
 男達の声を聞いて、ソフィーが声を発する。男達の声が消え、全員の殺気がソフィーへと向いた。ソフィーは変わらず足を組んでベンチに座っている。
 エインズワースと呼ばれたのは、三十代程に見える男だった。息子のサムは二十代前後に見えた。親子と呼ぶには年齢が合わないが、ソフィーにはそのからくりもすぐに理解出来た。
「もしあんたに会ったら『魔女を狩ってどうする?』って言おうと思ったけど、あんたの顔見てわかったわ」
 ソフィーはジャケットのポケットに両手を入れて立ち上がると、エインズワースを睨みつけた。
「あんた、魔女の血を飲んでるな?」
「ほう。詳しいな」
 エインズワースは否定しなかった。
 数歩歩いて隊列よりも前に出て、ソフィーと対峙する。
「魔女の血は不老不死の妙薬ってか。そんなの信じて実践してるやつがいるとはな」
「君は魔女かね」
「だったら何だ」
「くく、なるほど。検問の血液検査を拒否する理由にはなる」
 エインズワースは愉快そうに笑った。隣に立っていた男が機械から伸びる槍のようなものをソフィーに向けたが、エインズワースが片手をあげてそれを制した。
「魔女の血は不老不死だけではない。人間にはない、『力』があるのだよ。貴様も魔女の端くれなら聞いたことがあるだろう。我々人間がかの大戦で苦戦した彼奴らの『魔女術』のことを」
 魔女は『魔女術』と呼ばれる術を起こすことができる。それは奇跡と呼べるものだったと言われる。火のないところに火を生み、風のないところに風を起こす。ただ、そんな力を持った魔女達も、人間の『科学』という力には及ばなかった。だから多くの魔女は二百年前の大戦で滅んでしまった。
 人間と交わった混血達のうち、自身を魔女だと自認していた者たち、あるいは周囲から魔女だと指をさされた者たちは、住んでいた場所を追われ、人里から離れたところに小さくコミュニティを形成した。そうして魔女は人間たちの前から姿を消したのだった。
「人間はまだまだ力が必要だ。魔女の力を科学技術へと変え、更なる高みを目指さなければならない。私はそのために魔女の血の研究をしている」
「そうして、今度は人間同士で争うのか?」
 ソフィーが問うと、エインズワースは眉を顰めた。
「人間が色濃く持つ感情は二つある。他種族が持つ力を自分たちは持たないという『劣等感』と、他種族よりも優れた知能を持っているという『傲慢』」
 ポケットから右手を出すと、ソフィーはエインズワースに指を突き付けた。
「その感情はやがて次の大戦を生むぞ。今度は種族間戦争じゃない。人間同士の争いだ」
「その時勝つのは私だ」
 エインズワースはそう宣言した。
 劣等感を持った傲慢であると言われても否定をせず、次は人間同士の争いだと言われても否定をしない。エインズワースは既にその可能性を視野に入れている。その時のために研究しているのだと言わんばかりに。
 ソフィーは舌打ちをする。
 この街は、魔女の力の研究をして戦争の準備をしている。罪のない魔女を殺し、血を集め、研究し、不老不死と戦争の材料にしようとしている。ミシカも、その為に殺された。
「反吐が出るが、私には関係ないな。街を出て行くからどいてくれる?」
 ソフィーが言う。
「残念ながら、この街に入った魔女はすべて処刑対象だ」
 エインズワースは手で周囲の隊に合図をする。男達が槍を構えて襲い掛かって来た。
 ソフィーは腰のホルダーからナイフを取り出すと、正面から突っ込んできた男の槍をナイフで受け流した。背後から迫る男の槍を屈んで避ける。
 ソフィーは体術の才能はあったが、それでも相手に出来る数には限度があった。十人もの屈強な男を前にしてすべてを捌き切ることは出来なかった。槍が脇腹を掠り、右腕を掠り、ソフィーは舌打ちをして大きく背後へと跳んだ。
「エインズワース様!」
 ソフィーを刺した男が叫び、その声に周囲の男達は動きを止めた。
「なんだ、どうした」
「この女の血、魔女の反応なのですが……濃度が濃すぎてメーターが振り切れます!」
「こちらも同じく!」
 もう一人の男も叫んだ。槍の手元の部分についている計器が、魔女の血を測るものだったらしい。
 エインズワースが再び前へと歩み出る。
「通常の魔女には対応出来るように作っているはずだが……」
 一人の手元の計器を見て、確かに針が数値を振り切れているのを見て、エインズワースは唸る。そして思い至るものがあったのか、ソフィーに目を向けた。その表情に浮かんでいるのは、困惑と歓喜だった。
「貴様、まさか――純血か!?」
「……」
 ソフィーは答えない。
 純血の魔女は現代に存在しない。それが定説であった。
 二百年前の大戦で戦った魔女は戦死し、生き残った魔女も魔女狩りを称した人間達に住むところ追われ、ことごとく殺された。魔女の血が薄まる程に人間になってしまった魔女の子孫が生き残っているだけ。
「ははは、ははははは!! 純血の魔女!! 絶滅したと思ったが、まだ生きている者がいたとはな!!」
 歓喜。目の前にいるのが、新たな研究対象であることへの歓喜だった。
「一滴残らず血を抜いて……いや、それよりも生け捕りにして解剖をすべきか……ああ、この機会どうしてくれよう!」
「勝手にテンション上がってるところ悪いんだけど、あんたに殺されるつもりも捕まるつもりもないんだけど」
 ソフィーが血の滴る腕を抑えて不機嫌そうに言う。エインズワースは歓喜に染まる表情を抑えもせずに、周囲に向けていた目をソフィーに戻した。
「そうだ! 魔女術を見せてくれないか! 炎や水を出せるのだろう? 風を操れるのだろう? さあ、遠慮なく見せてくれ! さあ!」
「クソジジイ……何であんたのリクエスト聞いてやらなきゃならないんだよ」
 左手を傷口から離すと同時、傷口から血が溢れ、固まり、ソフィーの左手には血でできたナイフが握られていた。
「血の硬化! 素晴らしい!」
 拍手するエインズワースに向かってナイフを一直線に投げる。それを庇おうとした周囲の男を制しすると同時に、エインズワースは二本の指でナイフを挟んで受け止めた。
「チッ、身体能力も上がってるか」
 エインズワースの若い外見は魔女の血の効果であるとソフィーは見破っていたが、やはり身体能力も上がっている。魔女の血を常飲しているのだろう。魔女の血には人間にはない『力』が宿っている。人間との混血であれ、魔女の血が濃く出ていれば魔女術を使うことが出来る者もいる。そういった者たちは、この街ではすべて殺され、エインズワースの研究材料になっている。
 キキーッという数時間前に聞いたブレーキ音が聞こえた。そしてバタバタと慌ただしい足音が近付いてくる。
「見つけたぞ女ァ!!」
「めんどくさ……あんたはもういいよ」
 サムがやってきて、ソフィーは今度は空中にナイフを生み出し、同じようにサムに向かって投げつけた。周囲の兵がそれを打ち落とし、サムはひゃあと悲鳴を上げて腰を抜かした。
「パ、パパ! こいつ魔女だ!!」
 エインズワースに向かってサムが叫ぶが、エインズワースは嬉しそうに表情をほころばせていた。
「素晴らしい。が、純血の魔女ならその程度の力であるはずがない。貴様力を抜いているな? この状況で逃れられるとでも思っているのか?」
「逃げるさ」
 とはいえ。ソフィーは考えた。目の前の兵士十人に身体能力の上がっているエインズワースから逃れる術は、現状限られている。
 強い魔女術は、使えなくはない。ただし、それは本当に最後の手段だった。
 頼みの綱は、今いない。
「では、死なない程度に血を抜き、そのまま実験室の方に運ぶとしよう」
 エインズワースが右手を上げる。兵たちが槍を構えた。魔女の血を計測すると同時に、血を抜き取る槍だ。
 ソフィーは舌打ちをし、構える。
「オラァ!!」
「ぐはっ!」
 端にいた兵が蹴り飛ばされ、数人雪崩となる。
「ソフィー! 無事か!?」
 ウィルだった。
「おせーよ」
 ソフィーは文句を言いつつ、ほっと息を吐いた。
「侵入したもう一人か。まさか貴様も魔女か」
 ウィルがソフィーに駆け寄り、隣に立つ。ソフィーが怪我していることに気付き、ウィルは眉を寄せた。そしてエインズワースを睨みつける。
「エインズワース。てめえにとって魔女とは何だ」
「なに?」
 エインズワースは眉を顰める。
「研究対象だよ。それ以上でも以下でもない」
「研究で罪のない魔女を殺すのか」
 ソフィーがわずかに視線を後ろに向ける。そこにはアンナが置いた花束があった。ウィルの真剣な問いにエインズワースはついに声をあげて笑った。
「罪のない? おかしなことを言う。魔女は存在しているだけで罪なのだからな!」
「……存在しているだけで罪だと?」
 ウィルが低い声で呟く。
「ソフィー」
「ああ。私も頭にきた」
 ソフィーがジャケットを半分脱いだ。ウィルとソフィーが向かう合う。
 そして――ウィルはソフィーの露わになった首元に噛り付いた。
「やっちまえウィル」
 ごくり。
 ウィルが喉を鳴らす。
「魔女の血を飲んだ!?」
 ソフィーの首元から離れ、口元に滴る血を手の甲で拭う。伏せていた目をエインズワースに向けた時、その瞳は青から赤へと変わっていた。
 バチ、と空気が裂ける音がする。ウィルの銀色の髪が逆立つ。
「そうか……!」
 エインズワースは声を漏らす。
「――貴様は吸血鬼か!!」
 答える代わりに、ウィルがエインズワースと兵たちをその血のような目で睨みつけた。
 ピタリ。動きが止まった。
 指先ひとつ動かせなくなる。誰もが石のように静止した。
「魔女の研究ばっかで知らないかなあ、吸血鬼の『魔眼』」
 くすくすとソフィーが笑った。エインズワースが唯一動く眼球をソフィーに向ける。
「血を飲むと強くなる吸血鬼がさ、血に力を持つ魔女の血飲んだらどうなると思う?」
 ドゴォと派手な音が響き、エインズワースがソフィーから目を離した。ウィルが一番端にいた兵士を殴り飛ばしていた。シールドは割れ、吹っ飛ばされた男は伸びてしまっている。
「ば、ばかな……銃弾をも弾くシールドだぞ……」
「おっと、あんたは効きが悪いな。魔女の血のせいかな」
 エインズワースの漏らした言葉を聞いて、ソフィーが意外そうに言った。
 ウィルはソフィーの『血』の力で身体能力が上がっていた。エインズワースと同じである。ひとつだけ違うのは、ソフィーの血が混じり気のない『純血』であること。
「存在しているだけで罪だと言ったな」
 ソフィーが笑みを消して低く問う。
「ああ、そうだよな。確かに人間にそう言われ、二百年前に私たちの先祖は絶滅間際に追い込まれた」
 ウィルが隣の男を殴る。
「だが、私たちは存在しているだけで罪なのか?」
 また隣の男が吹き飛ぶ。
「何もしていないのに?」
 順番に男たちは殴り飛ばされていく。
「ただ共存を望んだだけなのに?」
 そして立っているのはエインズワースとサムだけになった。
「いつもきっかけはあんたらだよ、人間。他者を羨み、妬み、そうして戦いへと発展させる」
 ウィルがゆらりとエインズワースの前に立った。
「ま、待て……今なら、貴様らを黙って街の外に出してやる……だから、」
「てめえはそう言って命乞いしてきた魔女たちに何をしてきた」
 ウィルが唸った。
 そうして拳を力いっぱい握る。
「やめ――!」
 ドゴン、と一際大きな音が響いてエインズワースの体が後方に吹っ飛んだ。何度かバウンドし、そうして倒れた体はピクピクと痙攣している。
 突然サムががくんと膝を折って座り込んだ。サムを見下ろし、ウィルが息を吐いた。
「魔眼が解けたか。一口飲んだだけじゃこんなもんだな」
 逆立っていたウィルの髪と赤い目が元に戻る。
「それ以上飲んだらあんた殺しちゃうでしょ。一口でじゅーぶん」
「わかってるよ」
 軽い口調でやりとりした二人は、同時にサムに目を向ける。サムはヒッと声をあげた。ソフィーが右腕をぐるぐると回しながらサムの前へと歩いていく。
「私もなんか追い掛け回されてたっけなー」
 ウィルがサムの胸元を無理やり掴んで立たせる。そしてソフィーはサムの頬に握った右拳を叩きこんだ。先程までと比べるとかわいらしい音がして、サムは吹き飛ばされて気を失った。
「こいつらどうする?」
「ほっとけ。今のうちに逃げるぞ」
 ソフィーが脇腹を抑えながら駆け出した。その後をウィルが追う。
 誰一人、起き上がる者はいなかった。
「ウィルさん! ソフィーさん!」
 公園の入り口の陰で、アンナが手招きをしていた。あ、とウィルが声を漏らし、ソフィーは首を傾げる。
「おう、アンナ。ソフィーの手当をしたいんだけど」
「は、はい。うちでどうぞ!」
「なんでアンナがいるんだ?」
 首を傾げたままのソフィーに、アンナは深々と頭を下げた。
「先程はうちの弟をサムさんの車から助けていただいたようで……!」
「え? あっ、え!? 弟!?」

 アンナの家に戻って来ると、アンナの母親がソフィーの怪我を見て悲鳴を上げた。エインズワースにやられたのだと言うと、倒れそうになるアンナの母親をなんとか立たせ、ソフィーの手当をしてほしいと頼んで二人を家の中へと押し込んだ。
「ソフィーさんは、あの、魔女、なんですか?」
 二人を見送ったアンナが、外に残ったウィルに恐る恐る問いかけた。
「ああ、聞こえてたか?」
 アンナが頷く。
「そして、ウィルさんは、吸血鬼……?」
「俺は混血だけどな。あいつは純血」
 純血の吸血鬼は日光の下を歩けない、夜を好む種族だった。混血であれば、普段は人間と変わりなく生活が出来る。
「魔女と吸血鬼は仲が良くなかったと、学校で習った覚えがあります。どうして……」
「魔女は血に力を持ち、吸血鬼はその血を糧にするからか? 教科書通りだな」
 ウィルは腕を組むと、塀に背中を預けた。
「俺は学校に通ってたわけじゃねえから学はねえが、代わりに偏見も植え付けられなかった。父さんは人間の女と愛し合って俺を生んだし、ソフィーとはたまたま出会って利害が一致して今も一緒にいる」
「利害が一致……その、人間を憎むという、ですか?」
 アンナが問う。ぱちぱちとウィルは丸くした目を瞬かせた。そして首を傾げる。
「いや、別に憎んでねえけど」
「えっ。だって、先程人殺しをして……」
「殺してねえよ。殴っただけ」
 殴っただけ、とアンナは呟く。
 誰も死んではいなかった。気を失う程には殴ったが、それだけ。数時間と経たないうちに全員目を覚ますだろう。
「人殺しはしないって決めてんだ」
 ふっとウィルが笑う。アンナがほっとした顔をした。
 それは二人が出会った頃にした約束だった。
 人は憎まない。
 人を殺さない。
 それはまた新たな悲しみを生むから。
「ソフィーさんとは恋人同士ですか?」
「ぶっ! 何でそういう話になる? 違う違う、あいつに言うなよ、怒るからな」
「じゃあ、どういう……? だって、魔女と吸血鬼が一緒にいるなんて」
「ひとりぼっちとひとりぼっちが出会ったら二人になった。それだけだ」
 あれは雨の降る日だった。
 ひっそりと森の奥で父親と暮らしていたウィルの家が、人間たちに襲われたのは突然のことだった。父親は殺され、間一髪で父親に逃がされたウィルも瀕死の状態で、森の中で倒れてしまった。
 そこを偶然通りかかったのが、故郷を人間たちに燃やされ、彷徨っていたソフィーだった。
 ガチャリとドアが開いて、二人は会話をやめた。
「待たせた。行こう」
 ソフィーだった。包帯が破れた服の間から見えた。
「もう行くんですか? 傷が治るまで休んでいけば良いのに……」
「検問が騒がしくなる前に出ていかないとだし、あまりここに長居してエインズワースに見つかっても迷惑だろ」
 ぐっと伸びをして、ソフィーは傷が痛むのか顔を顰めた。
「じゃあ、行くか」
 ウィルが背を預けていた塀から離れる。
 ソフィーが歩き出し、その後にウィルが続いた。
「どこに行くんですか?」
 アンナが二人の背に問いかける。
「さあ、どこへでも」
 ソフィーがそう答えて、振り向いた。
「私たちが普通に死ねる場所を探してんだ」
 にこりと微笑んだソフィーの表情は、アンナのよく知るミシカの笑みにも似ていた。
 人間と変わらない笑顔だった。

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